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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区上落合1-26-19 (月見岡八幡神社)

新宿区登録有形文化財(絵画)
 谷文晁たにぶんちょう
の絵
     昭和60年(1985)8月2日登録

 月見岡八幡神社旧社殿の格天井に描かれていた板絵30数枚のうちの1枚で、縦43.6センチ、横42センチの方形の板に描かれた円形(径35.2センチ)の絵で、春の野の早蕨が彩色により描かれている。作者は江戸後期の画家谷文晁(1763~1840)と伝えられる。なお、この1枚は、取外されていたため戦災をまぬがれた。
 平成6年(1994)6月東京都新宿区教育委員会
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所在地 新宿区上落合1-26-19 (月見岡八幡神社)

新宿区登録有形文化財(工芸品)
 月見岡八幡神社の鰐口わにぐち
     昭和60年(1985)8月2日登録

 天明5年(1785)上落合村氏子により奉納されたもので、江戸時代の典型的な銅製の鰐口(社寺の礼拝所にかけ縄等で打ち鳴らす法楽器)である。長径35センチ、短径30センチ、厚さ11.3センチ、左右中央に幅6.4センチの目が出ている。
 明治以降紛失していたが、昭和初年(1926)に北海道で地方巡業の芝居一座が使用しているのが発見され、再度奉納されたものである。
 平成6年(1994)6月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区上落合3-4-12

真言宗豊山派
 高天山 大徳院 最勝寺

弘法大師 御府内八十八ヶ所霊場第二十四番霊場



本尊 釈迦牟尼如来
 
開創 鎌倉時代 北條時頼(1250年代)と伝えられている。

総本山 長谷寺 奈良県桜井市初瀬
 
祖師 宗祖  弘法大師(空海)
    中興祖 興教大師(覚鑁)
    派祖  専誉僧正

開宗
真言の教えは、その源流を遠くインドに発し、中国に伝わりました。平安時代の初め、弘法大師が中国(当時の唐)に渡り、真言の教えを持ち帰り、わが国に真言宗を開宗されました。
 教え
遍く、広く、全てのものの存在を肯定する曼荼羅思想や、全ての人間にやどる仏性の光明を見つめる即身成仏思想をもとに、世のため人のためにお報いしようという「四恩酬答」の教えが基本です。
 お経
般若理趣経・般若心経・観音経・光明真言などです。
 境内
大宝篋印塔(宝暦9年・1759年建立)
 
 鎌倉時代、北條時頼の開基と伝えられ、境内には歴史を物語る石仏、石造品が多い。特に門前の標石(江戸時代の道しるべ)や、大宝篋印塔、十一面観音菩薩像、正観音菩薩像などに見るべきものがある。

 


所在地 新宿区西落合1-11-23

真言宗豊山派
 西光山 無量寺 自性院
     〔 通称 猫寺 〕


豊島八十八ヶ所霊場24番札所





 自性院では、門前で招き猫がお出迎え、太田道灌が奉納したという猫地蔵は毎年2月節分の日に御開帳します。

 


新宿区指定有形民俗文化財
 自性院の私年号板碑
     昭和60年(1985)8月2日指定

 「福徳元年(1490)11月 日」の紀年銘を記す、高さ41センチの阿弥陀一尊種子板碑で、ほぼ完全な形を保っている。「福徳」は私年号で、室町時代の延徳2年(1490)にあたると推定されている。
 室町時代後期、中央政府の衰退と世相の混乱、民衆の現世利益の追求などにより、公年号と並び、地方豪族や寺社による私年号の使用が流行した。
 「福徳」の私年号を記す板碑は南関東を中心に分布しているが区内では唯一のものである。
 当時の社会的風潮を表す遺物として貴重である。
 平成3年(1919)11月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区中井2-29-16

   中井御霊神社
 拝殿の屋根は今では珍しいかやぶきである。
 毎年1月13日に行われる備射祭と、江戸時代の祭りの様子を描いた絵馬、祭りで弓矢の的を作るコンパスとしていた分木、それに雨乞のむしろ旗はいずれも区指定文化財となっている。



新宿区指定有形民俗文化財
 
中井御霊神社の備射祭絵馬
     昭和59年(1984)11月2日指定

 江戸時代の備射祭の様子を描いた絵馬で、神社拝殿内に掲示されている。
 額装・彩色、縦92センチ、横120センチの大きな絵馬で、構図・描写力に優れた古雅な作風を示す。
 絵馬には社前に座す僧侶や民衆の姿が見え、当時の備射祭の様式が現在とかなり異なっていたことがわかる。
 備射祭の絵馬は享保頃より3度にわたり奉納されたが、この絵馬は、文政13年(1830)に修復して奉納したものである。



新宿区指定有形民俗文化財
 中井御霊神社の分木
     昭和59年(1984)11月2日指定

 分木とは、中井御霊神社の正月の弓神事である備射祭の的を描く際用いる一種のコンパスである。
 3本が残されているが、ともに丈を2つ割りにし、先端に孔をあけ、緑には切込みがつけられている。
 1本は永さ76.2センチで永禄6年(1563)の作、もう1本は長さ76.3センチで元和6年(1620)の作である。



新宿区指定有形民俗文化財
 雨乞のむしろ旗
     昭和62年(1987)6月5日指定

 中井御霊神社の雨乞行事に用いられたむしろ旗で、8枚あったうち1枚だけ残ったものである。
 文化・文政年間(1804~1830)のものと推定され、縦182センチ、横91センチ、表には「龍王神」の墨書が、裏には龍図が描かれている。
 なお、雨乞の行事は関東大震災頃まで行われていたという。
 平成3年(1991)1月 東京都新宿区教育委員会    

 
        八雲神社・三峰神社                   稲荷神社


 中井御霊神社境内には『はなと茶の湯碑』があります。



新宿区指定無形民俗文化財
 中井御霊神社の備射祭
     昭和63年(1988)8月5日指定

 備射祭は正月の弓神事(歩射)として弓矢で的を射て、その年の豊凶を占ったり、悪霊を駆除して豊作を祈る行事で、毎年1月13日に行われている。
 式は、拝殿で祝詞奏上の後、盃の儀、弓射の式、祝宴の順で進行する。
 的は、筆を分木に当てて三重の円を書き、円の内側には二羽の烏が描かれた紙が貼り付けてある。
 なお、区内では葛谷御霊神社でも同じ1月13日に備射祭が行われている。
 平成6年(1994)6月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区中井2-29-16 (中井御霊神社)

  はなと茶の湯碑 秋本宗意書
 
 趣意
新宿区花道茶道協会は昭和24年(1949)7月4日創立爾来隆盛発展し、今日を迎えた其の間協会発展に尽力された花道茶道の先達に対し、■■らの敬意と感謝を込めその徳を頌るとともに本協会の未来永劫にわたる■■を祈念し、この碑を建立する。
 昭和49年(1974)11月17日 新宿区花道茶道協会


所在地 新宿区高田馬場2-15-2 (成陽ビル)

大正八年十二月竣工
 戸田平橋 戸塚新道 記念碑
     従三位 北條時敬 書


所在地 新宿区中井2

  二の坂

かつてこの坂の途中に墓地があり、蘭塔と呼ばれる卵形の塔婆があり、多くは禅僧の墓標として用いられた。


所在地 新宿区中落合1

  六天坂ろくてんざか
大正時代に開かれた坂道である。坂上に第六天の祠が建っていたため、六天坂と名付けられたという(「落合新聞」)。
 平成22年(2010)12月 新宿区


所在地 新宿区中落合2

  西坂
西坂の名は、江戸時代後期の絵図に認められる(堀江家文書「下落合村絵図」)。『豊多摩郡誌』には「西坂、新宿道、字本村と字不動谷戸の間にあり」とある。
かつて坂上にあった徳川男爵邸の牡丹園は、盛時に一般公開され、落合の名所の1つになっていた。
 平成16年(2004)2月 新宿区教育委員会


所在地 新宿区中落合2

  市郎兵衛坂いちろうべえざか
『豊多摩郡誌』によれば「市郎兵衛坂 中井道、字不動谷と前谷戸との間にあり」と書かれている。坂名の由来についてははっきりしない。この坂にゆかりのある人名をとったものと思われる。
 平成19年(2007)3月 新宿区教育委員会

 


所在地 新宿区中落合2

  霞坂かすみざか
 明治時代末に開かれた坂で、『豊多摩郡誌』には「大字下落合里俗中井より小学校前へ開穿したる新坂なり」」とある。
 この坂下は一面の水田だったので、春がすみの立つ、のどかな田園風景が美しかったという。
 平成18年(2006)3月 新宿区教育委員会

 


所在地 新宿区中落合4-18-16

  中井出世不動堂
 円空の作である本尊の不動明王像と、こんから・せいたかニ童子の三体(いずれも区指定文化財)があり、毎月28日の縁日に公開される。もとは中井御霊神社にあったが、明治の神仏分離により、現在地に移ったもの。



 新宿区指定有形文化財(彫刻)
 中井出世不動尊像
     昭和59年(1984)7月6日指定

 江戸時代の遊行僧円空(1632~1695)の作で、不動明王(像高128センチ)、矜羯羅童子(像高64センチ)、制咤迦童子(像高67センチ)の三体からなり、不動明王には火焔光背と台座、ニ童子には台座が付属している。
 江戸時代後期に円空生誕の地に近い尾張国一宮の真清田神社の東神宮寺より移され、明治時代後期まで中井御霊神社の別当不動院に安置されていた。
 彫法は円空の素木を生かした作風を良く示したもので、都内伝存の円空仏としては唯一の発見例である。
 平成3年(1991)11月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区中落合4-31-1 (目白学園)

  落合遺跡
 昭和25年(1950)に目白学園の校庭から弥生時代の住居跡が発見され、その後の調査で付近一帯から、縄文・弥生・奈良時代の住居や土器などが見つかり、「落合遺跡」と名づけられた。

                                       千日会堂

所在地 新宿区南元町19-2

浄土宗
 永固山 一行院 千日寺

 山の手三十三観音霊場28番


                              舎利塔

新宿区登録有形民俗文化財
 一行院の板碑
     昭和60年(1985)7月5日登録

 鎌倉時代後期から室町時代後期までの7基の板碑が舎利塔内に保存されている。
 完全な形のものはないが、都内では数少ない暦応2年(1339)の題目板碑が1基ある。
 出土の事情等は明らかではないが、一行院付近にあったものと思われ、この地域における中世の信仰や民俗を物語る資料として貴重である。
 平成5年(1993)11月 東京都新宿区教育委員会



新宿区登録有形文化財(考古資料)
 一行院墓地の出土品
     登録61年(1986)10月3日登録

 昭和37年(1962)首都高速道路4号線工事の際に、一行院の墓地から人骨と共にしゅつどぢた墓誌2基とその他副葬品類約300点が舎利塔内に保存されている。
 墓誌には、文政10年(1827)と安政12年(1829)の紀年銘が刻まれている。
 各種の副葬品類は、近世の風俗・文化を具体的に示すものとして貴重である。
 平成5年(1993)11月 東京都新宿区教育委員会



 一行院境内には『岩本昆寛の墓』、『神谷紋二郎記念碑』があります。


所在地 新宿区南元町19-2 (一行院 岩本昆寛墓前

 神谷紋二郎記念碑
 紋洋 神谷紋一郎先生は明治38年(1905)1月23日愛知県に生れ東京に於て刀剣小道具の鑑定を業とす
昭和42年(1967)7月21日死去行年63歳 生前岩本昆寛に私淑 故に同好の諸士集り昆寛の墓際に記念碑を建て冥福を祈る
 昭和44年(1969)7月19日
 記念碑建立発起人代表
 装剣小道具千代田会
 小窪健一 柴田光男 益本千一郎 三田光剣

 


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