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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区須賀町9

日蓮宗
 戒行寺



 戒行寺には『長谷川平蔵供養碑』があります。


所在地 新宿区須賀町9 (戒行寺)

   長谷川平蔵供養碑
 池波正太郎の原作と中村吉右衛門のテレビ時代劇で広く世に知られる「鬼平犯科帳」の主人公である火付盗賊改の鬼平と長谷川平蔵は延享3年(1746)江戸赤坂築地中之町(現港区赤坂6の12)の拝領屋敷で生まれた。姓は藤原、名は宣以。称は初め銕三郎、後に平蔵といった。寛延3年(1750)鉄砲州築地湊町に転じ、明和元年(1764)本所三ツ目通り菊川町に移った。父宣雄が火付盗賊改のとき、目黒行人坂の放火犯を捕えて、京都西町奉行に栄進したが、わずか10ヵ月で急逝した。その後、宣以が家督を継ぎ、西城御書院番や御徒頭を勤め、御先手弓頭から火付盗賊改を兼帯。さらに石川島人足寄場を開設した。軽犯者や無宿者を収容して手業を習得させ、工賃の一部を積みたてて、出所時の更生資金に充て、授産所として成功させた功績は大である。
 寛政7年(1795)、 50歳で病没、当山に葬られた。
 尚、当山には、鬼平の父宣雄ら5人の火付盗賊改が葬られている。
安部式部信旨 享保9年2月24日(1724・3・19)卒
桑嶋肥後守政恒 宝暦7年11月10日(1757・12・20)卒
山岡豊前守景之 明和3年2月4日(1766・3・14)卒
長谷川備中守宣雄 安永2年6月22日(1773・8・10)卒
菅沼主膳正虎常 寛改元年4月16日(1789・5・10)卒 
 平成6年(1994)7月17日 釣洋一撰


所在地 新宿区須賀町9~若葉

  戒行寺坂かいぎょうじざか
 戒行寺の南脇を東に下る坂である。坂名はこの戒行寺にちなんでいる(『御府内備考』)。別名「油揚坂」ともいわれ、それは昔坂の途中に豆腐屋があって、質のよい油揚げをつくっていたからこう呼ばれたという(『新撰東京名所図会』)。
 平成18年(2006)3月 新宿区教育委員会

 


所在地 新宿区須賀町11-4

真宗大谷派
 西應寺

 西應寺には『榊原鍵吉墓』があります。


所在地 新宿区須賀町11-4 (西應寺)

新宿区指定史跡
 榊原鍵吉墓さかきばらけんきち
     平成2年(1990)3月2日指定

 幕末から明治にかけて活躍した、最後の剣客榊原鍵吉は、天保元年(1830)麻布広尾に生れた。
 12歳のとき、麻布狸穴の直心影流男谷精一郎門下となり、嘉永2年(1849)には免許をうける。
 安政3年(1856)幕府講武所の剣術教授方に登用され、文久2年(1862)には同師範に昇進、元治元年(1864)には下谷車坂の屋敷で道場を開いた。
 慶応2年(1866)には幕府遊撃隊頭取となり、上野戦争で活躍するが、明治元年(1868)8月徳川家達に従い静岡に移住した。
 その後、明治政府より再三招かれるが断り、明治6年(1873)撃剣会を発足させ、維新後衰退した剣術の再興と普及に努めた。
 明治27年(1894)9月11日死去した。
 平成3年(1991)1月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区須賀町13-5

真言宗豊山派
 金剛山 蓮華院 顕性寺けんしょうじ
 
御府内八十八ヶ所 第四十四番札所



本尊 大日如来

総本山 長谷寺 奈良県桜井市初瀬
 
 祖師
宗祖  弘法大師(空海)
中興祖 興教大師(覚鑁)
派祖  専誉僧正
 開宗
真言宗は、平安時代初期に弘法大師によって、中国からもたらされ、わが国で開宗されました。
 教え
大日如来の真実の言葉として示される教えを私たちが信仰し体得することによって、この身がそのまま仏さまになrことができるという教えです。
 読誦するお経

曼荼羅の思想は大日如来の智慧と真理を現わし、すべての世界はその総徳に包括されるのです。
真言宗はこの教えに基き理想の社会をめざします。
般若理趣経・般若心経・観音経・光明真言等諸真言
 ご宝号
南無大師遍照金剛・南無興教大師・南無専誉僧正
 行事
初大師供養会(1月21日)施餓鬼会(7月18日)


所在地 新宿区須賀町・若葉1

  円通寺坂えんつうじざか
 新宿通りから、四谷2丁目と3丁目の境界を南に円通寺前に下る坂。坂名は、この円通寺に因むものである。
 平成11年(1999)3月 新宿区教育委員会

 


所在地 新宿区須賀町・若葉3

  闇坂くらやみざか



 この坂の左右にある松巌寺永心寺の樹木が繁り、薄暗い坂であったため、こう呼ばれたという(『御府内備考』)。
 平成7年(1995)8月 新宿区教育委員会

 


所在地 新宿区須賀町5-6

  須賀神社 御祭神
 主祭神
建速須佐之男命・宇迦能御魂大神
相殿 櫛稲田姫命・
右(御子)五男神 
 天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・熊野樟日命・活津彦根命
・左(御子)三女神 
 多紀理姫命・市杵島姫命・多岐都姫命・
相殿 大鳥神社
 御祭神 日本武命・天日鷲大神・大鳥連祖大神
相殿 大国主命
攝社 天白稲荷神社
 主祭神 倉稲魂大神
相殿 
 天照大御神・應神天皇・神功皇后・大山祇神・別雷神・
 天之水分神・国之水分神・高龗神・火之迦具土神・大宮売神・
 大年神・御年神・菅原道真公・疱獠神・天之児屋根命・
 猿田彦神・大物主神・










  四谷の総鎮守「須賀神社」と三十六歌仙絵
(須賀神社について)
 四谷の産土神(うぶすながみ)で、祭神は建速須佐能男命(すさのおのみこと)と宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと)の二柱です。
 かつては、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と稲荷社の二つの神社であったもので江戸時代は稲荷天王合社と呼ばれ、明治にはいり須賀神社と改められました。
 稲荷天王合社のうち稲荷社の由来については、次の二説が伝えられています。
 一つは、かつては麹町十一丁目清水谷にあり、一ツ木村の鎮守であったものが、同村にあった別当宝蔵院(神仏習合の時代、神社には別当寺があり、そこの僧侶が社僧おして神社の儀式に携わりました。)が、寛永11年(1634)に現在の須賀神社の場所に移ったのを機に、稲荷も移転してきたというものです。
 もう一つは、稲荷社は、現在の勝興寺(須賀町八番地)境内にあった椎の大木の根元に祀られており、宝蔵院が清水谷にある頃から稲荷社まで注連飾りの奉仕に来ていたため、寛永11年(1634)に勝興寺が移転してきた時、相談のうえ宝蔵院(現在の須賀神社)に遷座したという説です。
 牛頭天王社のほうは、寛永18年(1641)に、神田明神境内の牛頭天王社を四谷のお仮屋敷横町付近に小祠を立て祀ったものだそうです。
 ところがこの牛頭天王社に参詣人が多かったため、寛永21年(1644)寺社奉行に願い出て、同年6月18日に宝蔵院境内の稲荷社と合祀し、現在の稲荷天王合社となったものです。
 以来、稲荷は鮫河橋・権田原の、天王は四谷の鎮守として崇敬され、現在は四谷地区十八町会が氏子町となっています。

 須賀神社には『三十六歌仙絵』、『祖霊社』、『「く組」梯子塚』、『飯塚正兵衛翁顕彰胸像』があります。


所在地 新宿区須賀町5-6 (須賀神社)

新宿区指定有形文化財(絵画)
 須賀神社の三十六歌仙絵
     昭和61年(1986)3月7日指定

 三十六歌仙は、平安時代中期の公卿藤原公任(966~1041)が、過去および同時代の優れた歌人三十六にんを選定したもので、万葉歌人から柿本人麿・山部赤人・大伴家持の3名が、平安時代前期の「古今集」「後撰集」頃の歌人から紀貫之・在原業平・小野小町ら三十三名が選ばれている。
 須賀神社の三十六歌仙絵は、三十六歌仙を一人一枚の絵に仕立てたもので、縦55センチ、横37センチの絹地に彩色したものを、額装の上社殿内に掲げている。
 当時画家として高名だった四谷大番町(大京町)の旗本大岡雲峰(1764~1848)の絵と、和歌や書画で人気を博した公卿千種有功(1797~1854)の書により、天保7年(1836)に完成・奉納されたものである。
 四谷の総鎮守として信仰を集めた須賀神社の隆盛を物語る文化財のひとつである。
 平成3年(1991)11月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区須賀町5-6 (須賀神社)

  祖霊社
 須賀神社が古い歴史と今日のような立派な御社殿と荘厳なる境内を保ち、御神威四方満ちて御社頭の御繁栄を遂げておりますことは、此れ偏に須賀神社創立以来、数百年に亘りまして心からなる御奉仕を戴いて参りました。歴代の宮司を始め神社責任役員各町氏子総代、四谷惣町睦会、四谷第三区四番組等区内外の多くの氏子崇敬者各位の御蔭と存じ、この祖霊社に奉斎致してあります。私共は今日あるを喜び、すでに帰天の霊となられました諸先輩の方々の、御霊をお祭り致すことに偏って、祖先崇拝の精神を涵養し皆様と共に感謝の誠を捧げ、日々御神明への御奉仕を致したいと思います。
 祭礼日 例年6月4日執行 須賀神社社務所


所在地 新宿区須賀町5-6 (須賀神社)

  飯塚正兵衛翁顕彰胸像
  


 碑銘
飯塚正兵衛翁は常に敬神崇祖の念を至上とし戦後の世情混乱期より幾多の困難を克服し30猶予年の長きに亘り歴代の責任役人及び氏子総代と共に終始当神社の為に神慮を畏み赤心の誠を以って氏子の代表として宮司を援け衆意を善く一にし堅忍不抜は言うに及ばず一意専心献身的な努力を重ね神社の復興を成し神威の高揚と神徳の顕揚に尽されし其の業績は多大たり
依って茲に氏子総代相詢り功績を称え之を不朽に伝う
 昭和57壬戌6月2日建立


所在地 新宿区須賀町13

日蓮宗
 正妙山 法恩寺

 


所在地 新宿区須賀町10-2

曹洞宗
 宗福寺



 宗福寺には『源清麿墓』、『水心子正秀墓』があります。



 


所在地 新宿区須賀町10-2 (宗福寺)

新宿区指定史跡
 源清麿墓みなもとのきよまろ
     昭和59年(1984)12月7日指定

 江戸後期の刀鍛冶の名匠源清麿は、本名を山浦環といい文化9年(1812)信州小諸に生れた。
 はじめ上田の刀匠河村寿隆について鍛冶を学び、天保6年(1835)江戸に出て幕臣窪田清音のもとで兵学を学ぶ傍ら刀工として精進した。
 その後、四谷北伊賀町(現在の三栄町の一部)に居を構えて刀剣の製作に励み、名も源清麿と改めた。新々刀(江戸時代後期の刀)の刀工の第一人者として、天保・弘化年間(1830~1846「)に活躍した。その刀の切れ味は正宗のようだといわれ、「四谷正宗」と呼ばれた。
 寛政元年(1854)11月14日、42歳で没した。
 平成5年(1993)1月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区須賀町13

日蓮宗
 平等山 本性寺



 本性寺には『萩原宗固墓』、『北向き開運毘沙門天』、『伊谷以二郎顕彰の灯籠』があります。

 


所在地 新宿区須賀町13 (本性寺)

  伊谷以二郎顕彰の灯籠(真如院殿法光日壽大居士)1864~1937
伊谷氏は、わが国の水産界、水産教育の向上に力を尽し、大日本水産会長、日本缶詰協会長、日本水産学会長など各種役員に選任され生前功労に依り特旨を以て勲三等瑞宝章を加綬される。この灯籠は、昭和12年(1937)5月大日本水産会より贈られた。
 真榊
高松宮、伏見官両殿下より、伊谷以知二郎氏の霊前に贈る。
 昭和12年(1937)4月5日


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