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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区余丁町8-5

新宿山の手七福神

   辨財天 通称 抜弁天



   厳嶋神社・抜弁天

1、由来
 白河天皇御代 応徳3年(1086)鎮守府将軍・源義家公は、後3年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが当厳嶋神社の始めと伝えられている。(豊多摩郡誌参照)



2、江戸時代
 参道は南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から、抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つに数えられている。また山の手七福神を構成する弁財天でもある。

安政4年(1857)

 江戸幕府の地誌 大久保絵図(安政4年)には、別当ニ尊院・抜弁天と記載され、また他の絵図にはここに稲荷神社があったことも示されている。

嘉永5年(1852)

 徳川綱吉将軍の「生類憐みの令」により、この附近に2万5千坪の犬小屋が設けられていた。
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所在地 新宿区余丁町12-18

  出世稲荷神社
 
 御祭神 倉稲魂命
お稲荷様と一般にいわれ、福徳開運十種の徳をそなえた衣食住の守護神であります

 御由緒
長禄元年(約520年前)江戸城太田道灌によって当地の御鎮座されたものであります
元禄年中は徳川5代将軍綱吉の生母 桂昌院の信仰篤くしばしば角力も興行され特に賑いました
明治6年(1873)それまで粟津稲荷あるいは朝日稲荷と呼ばれていたものを出世稲荷神社と改めました
昔から農工商の神様として崇敬され特に当社は武士の信仰も篤く商売繁昌家内全隆除災特に火災を守る神様として霊験あらたかであります



 御祭典
月例祭   毎月17日
大祭     10月17日
初午祭   2月初めの午の日
 昭和51年(1976)10月17日  出世稲荷神社


所在地 新宿区余丁町7先

 坪内逍遥旧居跡・文芸協会演劇研究所跡
 坪内逍遥は、明治22年(1889)から熱海の双柿舎へ居を移す大正9年(1920)まで、余丁町に居住した。
 この約30年間に坪内逍遥は、早稲田大学で教鞭を執る傍ら、雑誌『早稲田文学』の発行、シェークスピア作品の研究・翻訳等を行なった。
 また、後期の文芸協会を主宰し、明治42年(1909)には敷地内に文芸協会演劇研究所を設け、基礎理論のほか、実際の演技指導が行われ、後の日本の演劇界を担う多くの人材を養成した。
 現在、自宅として使用した建物や演劇研究所は滅失しているが、この地は、日本近代文学及び演劇史上重要な場所である。
 平成21年(2009)3月 新宿区教育委員会













所在地 新宿区余丁町4

 新宿区立 余丁町児童遊園



 余丁町児童遊園には『刑死者慰霊塔』があります。


所在地 新宿区余丁町4 (余丁町児童遊園)

 刑死者慰霊塔 東京監獄 市ヶ谷刑務所
昭和39年(1964)7月15日建之 日本弁護士連合会



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永山
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