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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区内藤町1-8

 当社は、江戸初期に初代内藤清成氏が屋敷内の地(現在の新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り、(内藤神社)を草創したことに始まり、また藤原氏の氏神である楢の春日大社より、経津主神、武甕槌神、天兒屋根神、姫神の分霊を勧請合祀してあります。
 明治19年(1886)に新宿御苑の地より現在地へ移設、遷座され今日に至っています。当初は武州多武峯神社と称していましたが、昭和42年(1967)5月に多武峯内藤神社に改称されました。



   御祭神  
主祭神  藤原鎌足公(ふぢはらのかまたりこう)
相殿神  武甕槌神(たけみかづちのかみ)
相殿神  経津主神(ふつぬしのかみ)
相殿神  天兒屋根神(あめのこやねのかみ)
相殿神  姫神(ひめかみ)
相殿神  内藤家歴代祖霊



   末社稲荷神社
主祭神  倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
相殿神  八幡神(やはたのかみ)
相殿神  大国主神(おおくにぬしのかみ)
相殿神  市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ)
駿馬舎  (木彫の白馬・内藤修理亮清成公の愛馬)


                     稲荷大明神・八幡大菩薩
   建物・史跡
社殿、神楽殿、手水舎、稲荷神社、駿馬舎
駿馬塚 文化13年(1816)建立、新宿区登録有形文化財

   御祭日
元旦祭    例年 1月1日(午前零時)
初午祭    例年 2月(初午の日、若しくは前後の日曜日)
例大祭    例年 5月(第三土曜日・日曜日)
七五三祝祭 例年 11月(15日、若しくは前の日曜日)
大祓祭    例年 12月31日(夕刻)
除夜祭    例年 12月31日(午後11時30分)
 多武峯内藤神社社務所

 境内には『駿馬塚』があります。
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所在地 新宿区内藤町1-8 (多武峯内藤神社)

新宿区登録有形文化財
 駿馬塚 しゅんめづか
     平成5年(1993)3月5日登録



 内藤清成の駿馬の伝説にかかわる石碑である。
 徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と語ったという。
 清成の乗った駿馬は、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられる。
 後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が、文化13年(1816)8月に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てた。
 碑はその後、明治5年(1872)9月に現在地に移されたものである。
 平成5年(1993)11月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区内藤町1-8 (新宿区立内藤児童遊園)

 この地(多武峯内藤神社西方付近)は、明治20年(1887)に佐賀藩出身の眞崎仁六が眞崎鉛筆製造所(現・三菱鉛筆株式会社)を興し、鉛筆の製造を始めたところです。30年後の大正5年(1916)に品川区東大井に移転するまで、ここで鉛筆製造を行っていました。
 創業時は玉川上水の分水であり、現在は暗渠(あんきょ)となっている渋谷川を利用した水車を動力にして、ここで鉛筆が造られていました。
 平成18年(2006)10月
  寄贈 三菱鉛筆株式会社  
  資料提供 新宿区教育委員会



所在地 新宿区内藤町87

  玉川上水水番所跡
 玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。
 水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。
    定
一、此上水道において魚を取水をあび
  ちり芥捨べからず 何にても物あらひ申問敷
  竝両側三間道に在来候並木下草
  其外草刈取申間敷候事
 右之通相背輩あらば可為曲事者也
  元文四巳未年十二月   奉行
 
 平成9年(1997)3月 新宿区教育委員会


所在地 新宿区内藤町87

  四谷大木戸跡碑
 四谷大木戸碑は、昭和34年(1959)11月地下鉄丸の内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して造られた記念碑である。
 実際の大木戸の位置は、ここより約80メートル東の四谷4丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。
 平成9年(1997)3月 新宿区教育委員会


所在地 新宿区内藤町87

東京都指定有形文化財(古文書)
 水道碑記(すいどうのいしぶみのき) 
     指定年月日 昭和5年(1930)12月

 玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ460センチ、幅230センチ。上部の篆字は徳川家達、撰文は胆付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に780字、裏面に130字が陰刻されている。
 碑の表面には明治18年の年記が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治28年(1895)完成したものである。
 平成9年(1997)3月 新宿区教育委員会


所在地 新宿区内藤町

 内藤新宿開設三百年記念碑
 元禄11年(1698)6月、浅草阿部川町の名主・高松喜兵衛(後の喜六)らの願いにより、ここから新宿3丁目交差点付近までの約1kmに、新たな宿場として「内藤新宿」が開設された。
 この宿場は、享保3年(1718)に一旦廃止されたが、54年後に再興されて以降、甲州・青梅両街道が交差する、交通の要衝として、また文化と娯楽の町として繁栄をつづけ、平成10年(1998)、開設三百年を迎えることとなった。
 新都心・新宿の出発点となった内藤新宿の歴史と先人の歩みを記念し、ここに記念碑を建立する。
 平成10年(1998)11月 東京都新宿区


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