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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区喜久井町1

新宿区指定史跡
 夏目漱石誕生の地
     昭和61年(1986)10月3日指定



 文豪夏目漱石(1867~1916)は、夏目小兵衛直克と千枝夫妻の五男三女の末子としてこの地に生れた。
 夏目家は、牛込馬場下横町周辺の十一ヶ町をまとめる名主で、その勢力は大きく、喜久井町の名は夏目家の家紋「井桁に菊」に因み、また夏目坂は直克が命名したものだという。
 僧籍は生後間もなく四谷の古道具屋に里子に出されたが、すぐに生家にもどり、2歳の11月に再び内藤新宿の名主塩原昌之助の養子となり、22歳のとき夏目家に復籍している。
 なお、この地での幼少時代のことは大正4年(1915)に書かれた随筆「硝子戸の中」に詳述されている。
 また、この記念碑は昭和41年(1966)に漱石生誕百年を記念して建立されたもので、文字は漱石の弟子安倍能成の筆になる。
 平成3年(1991)11月 東京都新宿区教育委員会
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所在地 新宿区喜久井町

  夏目坂
 夏目漱石の随筆『硝子戸の中』(大正4年〔1915〕)によると、漱石の父でこの辺りの名主であった夏目小兵衛直克が、自分の姓を名づけて呼んでいたものが人々に広まり、やがてこう呼ばれ地図にものるようになった。
 平成14年(2002)3月 新宿区教育委員会



所在地 新宿区喜久井町46

浄土宗
 来迎寺



 浄土宗。境内には、立派な板碑型の庚申塔(区指定文化財)がある。これは、延宝4年(1676)に建てられたもので、庚申塔の銘文中の「武州湯原(荏原)郡」という記載は、江戸時代でも中世の郡名を記していた貴重な資料である。




 来迎寺には『庚申塔』があります。



所在地 新宿区喜久井町46 (来迎寺)

新宿区指定有形民俗文化財
 来迎寺の庚申
     昭和59年(1984)7月6日指定



 延宝4年(1676)に造立された板碑型の庚申塔である。
 石質は極めて固い玄武岩で、高さは120センチ、上部左右に日月を配し、中央岩座に三猿、下部に対面した雌雄の鶏が浮彫され、江戸時代前半の庚申塔の特色を示している。



 また向かって右側に「武州湯原郡牛込馬場下町」の印刻があり、江戸時代になっても中世当時の古地名を記した史料として極めて価値が高い。
 平成3年(1991)11月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区喜久井町61

浄土宗
 亀鶴山 易行院 誓閑寺



 浄土宗。かつては尾張家の下屋敷に隣接していた関係から、同家の奥女中の墓が多かった。また、夏目漱石は「硝子戸の中」でこの寺の梵鐘(区指定文化財)の音のことにふれている。




 誓閑寺には『銅造地蔵菩薩半跏像』、『梵鐘』があります。


所在地 新宿区喜久井町61 (誓閑寺)

新宿区登録有形文化財(彫刻)
 銅造地蔵菩薩半跏像
     平成13年(2001)2月14日登録

 文政元年(1818)誓閑寺第十世住職進誉求道の時に鋳造された像で、神田の鋳物師太田駿河守藤原正義の作である。
 総高136センチメートル。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ半跏像で肉親部には鍍金が施されている。
 台座正面には「百万遍講中」と刻まれており、「市ヶ谷大奥中」以下180名あまりの人名が刻まれている。「市ヶ谷大奥中」とは市ヶ谷に上屋敷を構えていた尾張徳川家に関連するものと考えられる。江戸時代、この近くには尾張徳川家尾下屋敷(戸山山荘)もあり、誓閑寺には同家の奥女中らが葬られるなど関わりが深かった。
 平成13年(2001)9月 新宿区教育委員会


所在地 新宿区喜久井町61 (誓閑寺)

新宿区指定有形文化財(工芸品)
 誓閑寺の梵鐘
     昭和59年(1984)12月7日指定



 天和2年(1682)に近在の住民の寄進により鋳造された区内最古の梵鐘である。
 総高138センチ、口径79センチ、周囲236センチで、形状は比較的古い様式を残している。
 池の間(銘文等を刻む空間)は4つに区画され、全面に銘文が刻まれており、特に銘文中の「武州荏原郡」の記載は、当時すでに豊島郡になっていたこのあたりが、古い郡名で呼ばれていた例を示す史料となっている。



 なお、鐘楼は昭和49年(1974)4月に、千葉県木更津市の選擇寺より移築されたものである。
 平成8年(1996)3月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区喜久井町39

日蓮宗
 本妙山 感通寺
昭和20年(1945)5月25日當町ヲ含メテ山手地区ハ米空軍ノ空龍手ヲ蒙リ悉皆灰塵ニ歸セリ酸鼻ノ状タル死屍累々トシテ巷ニ倒レ残月白骨ヲ照シ遂ニ惨害シテ異物ト為スノ観ナリキ。殊ニ夏目坂台地ヨリ早稲田通リ向ケL字型ニ構築セル地下壕ノ中ニ避難ノ人々ハ爆撃炎上ノ■ト瓦斯ノタメ犠牲者参百余名ヲコエタリト。親ハ愛児ヲ抱キ、若キハ老タルエオ庇イ、夫ハ妻ヲ助ケント為シタル等、或ハ全身大焼炭化シ、或ハ生ケルガ如ク直立シ、或ハ両手ヲ虚空ニシテ落命セル等、目ヲ蔽イ言ヲ失フ恐怖地獄ノ惨状ナリキ。惨害無残非命ニ倒レシ犠牲ヲ念フトキ人皆歔欷シ或ハ慟哭シ、心折レテ生事ヲ悲シムノミナリ。屍ヲ積ンデ草木暒ク流血ハ瓦礫ヲ染メテ声ナシ、マコトニ国破レテ山河アリ、魂魄招ケドモ再ビ来ラズノ感懐ヲ深カラシム、ココニ春風秋雨メグリテ三十三年ノ歳月ヲ閲ミシ漸クニシテ観卋音菩薩一体ヲ造立シ奉ルコトヲ得タリ。願クバ日米彼我戦歿之諸英霊町内戦災殉難之諸精霊當寺戦死病没之諸英霊鎮魂供養ノタメナリ。今ヤ一会ノ大衆ト共ニ梵唄踊経修スル所ノ秘妙五段ノ加持ヲ以テ観卋音菩薩御尊像開眼供養ノ法儀ヲ営ナミ、仰而喜久井町観音ト名ケ奉ル者也、造立シ奉ル喜久井町観音、ソノ妙智之力ハ能ク群生ノ苦厄ヲ救イ、十方諸々ノ国土ニ於テ身ヲ現ゼザルナク、克ク生老病死ノ苦ヲ減ジ常ニ苦悩諸厄ニ於テ依怙トナラセ給ハン事ヲ。
 昭和52年(1977)5月25日 造立願主感通寺二十卋伝灯新間日恵■






 竹駒稲荷尊







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