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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区下落合2-7-12

  氷川神社
当神社の御創立は第5代孝昭天皇の御代(今より2400年前)とも又更に上古とも云はれ詳ではありません。
御本社に次の三柱をお祀りされてあります。
 ・素盞鳴尊
八岐大蛇退治の物語の如く除災招福の御神徳があらたかであります。
 ・稲田姫命
素盞鳴尊の妻にあたられ家内円満願望をみたして下さる神様であります。
 ・大己貴命
別の御名を大国主命と申し上げ、夫婦和合、商売繁昌、健康保全にお力添へ下さる神様で又大国様の御名前で世に親しまれている神様です。

 境内社(相殿)
三峰社   伊弉諾神・伊弉冉神
天祖社   天照大御神
稲荷社   宇迦之御魂神・佐田彦神・大宮能売神
諏訪社   建御名方神・八坂刀売神
浅間社   木花咲耶姫神



 
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所在地 新宿区下落合2-10-5

  東山藤稲荷神社
 御祭神
・宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
 伊勢神宮外宮と御同神といわれ、衣食住の大祖神にましまし、一家の和合、商売繁昌を守護する神様です。
・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
 神楽舞踏の始祖神にましまし、歌舞音曲、長寿を守護する神様です。
・佐田彦大神(さだびこのおおかみ)
 交通、通称貿易を守護し、万事善方に導いて下さる神様です。
東山稲荷神社社務所 



 由緒
当社は、かつて此の地方を統治された、清和天皇の皇孫源経基という御方が、今より約一千百年前、醍醐天皇の御世、延長5年(927)初午の日に京都稲荷山より勧請御遷宮申し上げた御社であり、「藤稲荷神社」「富士稲荷神社」とも申し上げております。
当社は源経基を始め、源家一族の守神として大変厚く信仰されました。その由縁は、当時平将門が謀逆を企てた折、当東山稲荷の大神様よりその旨御神託あり、経基は早速忍者を走らせ調査した処御神託の通りだったため、帝の許しを頂き、これを平定致しました。この功により、帝より源姓を賜った経基は、以来東山稲荷神社を源氏の氏神様として一族で崇敬することとしたと伝えられております。
やがて時代の流れと共に、武家のみならず庶民の信仰も厚くなり、「知恵と勇気」を御授け下さる福徳の神様として、その信仰者は農商業、芸能方面と広く江戸市中関東一円に増えていったとのことです。

 


所在地 新宿区下落合2-10

  新宿区立おとめ山公園
 面積      15,054.30㎡
 開園年月日 昭和44年(1969)7月1日

 江戸時代には、このあたり一帯をおとめ山と呼んでいた。将軍家の狩猟地で、立ち入り禁止の意味の御留山から起った名と言われている。
 明治以降は、おとめ山を東西に分けて、東側を近衛家、西側を相馬家が所有した。相馬家は林泉園と称して庭園として利用、庭内は池泉を中心とした回遊式で、大正3年(1914)、長岡半平が築造し、現在一部が公園に残っている。
 その後、分譲され、戦後は大蔵省が所有していたが、荒れ果てていたものを、地元の文化人らが大蔵省に陳情して、公園として整備されることになり、昭和44年(1969)に新宿区立おとめ山公園として開園の運びとなった。
  新宿区



           HISTORY OF SHINJUKU-KU OTOME-YAMA PARK
 In the Edo Era this area was called Otome-Yama.It was a hunting ground exclusively for the Tokugawa shogunate,and ordinary people were not allowed to enter the area (Otome means "Keep Out! and Yama means a hilly mountain).
 After the Meiji Period,Otome-Yama was divided into the East Side and the West Side,and the East Side was possessed by the Konoe family and the West Side by the Soma family.The Somas used the West Side as a garden and named it "Rinsen-en".The central part of this landscape garden in the go-round style has a pond with a fountain.The garden was made by Hanpei Nagaoka in 1914 and a part of the garden still remains,as it was then,today.
 After that,the West Side was sold in lots.After World War Ⅱ,the West Side came into the possession of the Ministry of Finance and was left as a desolate place.
 Men of culture living in t he vicinity sent a petition to the Ministry of Finance.Thanks to thier eddorts,it was desided to develop this area as a park,and the park was opend in 1969 as Otome-Yama Park of Shinjuku-ku.



    おとめ山賛歌
山を上れば  林間広場
緑を縫って  小鳥とぶ
山を下れば  泉の広場
谷の襞から  清水わく
野鳥の森の  歌声響き
弁天池には  カモ遊ぶ
先人残せし  おとめ山
遥か未来へ  伝えたい
 平成11年(1999)10月  おとめ山の自然を守る会


所在地 新宿区下落合2

  相馬坂
 この坂に隣接する「おとめ山公園」は、江戸時代には将軍家御鷹場として一般人の立入りを禁止した御禁止山(おとめやま)であった。この一帯を明治時代末に相馬家が買い取って屋敷を建てた。この坂は新井薬師道から相馬邸に向け新たに通された坂道であるため、こう呼ばれた。

 


所在地 新宿区下落合4-3

  下落合弁財天




 下落合弁財天境内には『下落合横穴墓郡跡』の説明板があります。
 人骨

所在地 新宿区下落合4-3 (下落合弁財天裏手一帯)

新宿区登録有形文化財(考古資料)
 下落合横穴墓郡跡
     昭和61年(1986)3月7日登録

 直刀

 ここ下落合弁財天の裏手一帯は、昭和41年(1966)7月、宅地造成中に発見された下落合横穴墓群の跡である。
 下落合横穴墓群は、7世紀後半から8世紀初頭頃のものと推定され、妙正寺川に臨む落合台地の側面に、川の氾濫を避けるように4基の横穴墓が確認された。
 出土品のうち人骨2体と直刀(刀身79センチメートル)は、新宿区登録有形文化財に登載され、現在は、新宿歴史博物館が所蔵し、横穴墓の断面模型などとともに常設展示のなかに展示されている。
 平成7年(1995)8月 東京都新宿区教育委員会


所在地 新宿区下落合4-8-2

真言宗 豊山派
 瑠璃山 医王寺 薬王院
     通称「東長谷寺」


 御府内八十八ヶ所 第三十六番



本尊 薬師瑠璃光如来

開基 願行上人(鎌倉幕府頼朝公の帰依僧)
中興 実寿和尚(延宝年間1673~1680)

総本山 長谷寺 奈良県桜井市初瀬
  
祖師
 宗祖 弘法大師(空海)
 中興祖 興教大師(覚鑁)
 派祖 専誉僧正


   
  開宗
真言宗は、平安時代初期に弘法大師によって中国からもたらされ、わが国で開宗されました。
  教え
大日如来を中心とした曼荼羅思想などです。
  本尊真言
おんころころ せんだりまとうぎ そわか
  お経
般若理趣経・光明真言などです。
  ご宝号
南無大師遍照金剛・南無興教大師・南無専誉僧正
  行事
護摩法要(2月3日午後2時)
大般若法要(5月1日午後2時)
施餓鬼法要(7月12日午後2時)
花まつり(仏生会)、春秋彼岸会

 


所在地 新宿区下落合4

  久七坂
 『豊多摩郡誌』には、もとは田んぼへ行き来するための道で、急な坂であったと記されている。
 坂名は、ゆかりのある村人の名にちなむものであろう。
 平成18年(2006)3月 新宿区教育委員会


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