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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区市谷船河原町九番地

 掘兼の井とは、「掘りかねる」の意からきており、掘っても掘ってもなかなか水が出ないため、皆が苦労してやっと掘った井戸という意味である。掘兼の井戸の名は、ほかの土地にもあるが、市谷船河原町の掘兼の井には次のような伝説がある。
 昔、妻に先立たれた男が息子と二人で暮らしていた。男が後妻を迎えると、後妻は息子をひどくいじめた。ところが、しだいにこの男も後妻と一緒に息子をいじめるようになり、いたずらをしないようにと言って庭先に井戸を掘らせた。息子は朝から晩まで素手で井戸を掘ったが水は出ず、とうとう精根つきて死んでしまったという。
 平成3年(1991)11月  東京都新宿区教育委員会
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所在地 新宿区市谷船河原町 - 神楽坂1

  庾嶺坂ゆれいざか

 江戸初期この坂のあたりが美しい梅林であったため、二代将軍秀忠が 中国の梅の名所の名をとったと伝えられるが、他にも坂名の由来は諸説あるという(『御府内備考』)。別名「行人坂」「唯念坂(ゆうねんざか)」「ゆう玄坂」「幽霊坂」「若宮坂」とも呼ばれる。
  平成2年(1990)3月  新宿区教育委員会

 


所在地 新宿区市谷船河原町

  逢坂おうさか
 昔、小野美佐吾という人が武蔵守となり、この地にきた時、美しい娘と恋仲になり、のちに都に帰って没したが、娘の夢によりこの坂で、再び逢ったという伝説に因み、逢坂と呼ばれるようになったという。
 平成19年(2007)3月 新宿区教育委員会

 


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永山
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