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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区西早稲田2-1-14

高野山真言宗
 威盛院 光松山 放生寺

 放生寺は寛永18年(1641)威盛院権大僧都法印良昌上人が高田八幡(穴八幡宮)の造営に尽力され、その別当寺として開創されたお寺です。
 良昌上人は、高野山奥の院、安芸宮島さらには諸国を修行していた折の寛永16年(1639)2月霊夢の中に老翁現れ、「将軍家の若君が辛巳の年の夏頃御降誕あり、汝祈念せよ。」と告げられ、直ちに堂宇に籠もって大願成就まで祈願致したところ、同年厳有院殿(4代家綱公)が御降誕されました。その後、このことが上聞に達し、大献院殿(3代家光公)が当山に御参拝になり正保3年(1646)御厄除の御祈祷を厳修、慶安2年(1649)良昌上人より寺社の由緒も聞かれ、「威盛院光松山放生会寺」の寺号を賜り付近一帯は放生寺門前と称されていました。爾来、将軍家の崇信殊の外篤く徳川家代々の祈願寺として葵の紋を寺紋に、また江戸城登城の際には寺格として独礼登城三色(緋色、紫色、鳶色)の衣の着用を許されました。
 さらには、御遊猟の際に当山を御膳所に命ぜられるなど、徳川實記には放生寺と将軍家との往来が詳細に記されております。
 開創当時から明治までは、神仏習合により穴八幡別当放生寺として寺と神社は同じ境内地にあり、代々の住職が社僧として寺社一山の法務を司っておりましたが、明治2年(1869)、当山16世実行上人の代、廃仏毀釈の布告に依り、境内を分割し現今の地に本尊聖観世音菩薩が遷されました。
 このように当山は、徳川家由来の観音霊場として広く知られ殊に本尊聖観世音菩薩は融通虫封観世音と称され、御府内88ヶ所霊場第30番札所、江戸33観音第15番札所として多くの人々の尊信を集めております。



   一陽来福の由来
 現在暦や易占の礎となっている書物は「宿曜経」と云い弘法大師空海が平安時代に初めて中国から我が国に伝えたものであります。当山授与の一陽来福は冬至(陰極まって一陽を生ずる)を示す一陽来腹に因み、観音経の「福聚海無量」と云う偈文より「福」の字を結んで一陽来福と名付けられました。一家の居間に、毎年定められた恵方に向けて貼り、資生招福・金銀融通を祈願する霊験あらたかな観音さまの御札です。
 江戸天保年間に、冬至前7日間真言密教による観音法の御祈祷を修して、別当放生寺が信徒に授与したのが始まりです。以来、今日に至るまで御修法を師資相傳継承し、冬至より節分迄の間授与致しております。一陽来福が当山由来でありますことは、虫封じと共に古老諸彦の熟知される所であります。
 光松山 放生寺



 境内には『放生供養碑』、『馬頭観世音菩薩』、『地蔵菩薩』、『神変大菩薩』があります。
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