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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区高田馬場1

  高田馬場再開発記念碑
高田馬場とは、寛永13年(1636)この東方約1キロ戸塚町の中央に設けられた江戸時代旗本たちの馬術練習や流鏑馬などを行う馬場から起った名称である。歴史に残る忠臣蔵の堀部安兵衛の助太刀の馬場としても著名である。明治15年(1882)早稲田大学の前身東京専門学校が早稲田の森に建設され、明治35年(1902)早稲田大学と改称、学生の往来ようやく繁くなり高田馬場駅が開設されたのは明治43年(1910)9月で、駅前が発展してきたのは、大正初期で、名実共に早稲田大学の玄関口となり、学生の町となって賑わいをみせたのは昭和になってからである。
昭和2年(1927)西武鉄道の開通後駅前周辺は急速に繁華街として発展し、第二次世界大戦後、昭和24年(1949)都電が早稲田終点より駅前まで延長、昭和27年(1952)には西武線の新宿まで延長、地下鉄東西線は昭和39年(1964)に開通し、一方戦災を受けた駅前を近代的な都市に再開発するため昭和23年(1948)3月東京都から戦災復興事業として区画整理の指定を受け、改めて昭和37年(1962)3月高田馬場防災建築街区造成組合が設立され家屋の移転、取毀、整理を開始、やがて駅前周辺に高層近代ビルが次々と建設されるに至って有志相謀り據出して駅前広場に噴水、花壇を建設、池の中央に東京芸術大学名誉教授山本豊市先生の特志の寄進による平和の女神像を安置して、道行く人々に悲話と緑の憩いの場を与え往時と全く面目を一新された。
ここに高田馬場沿革史上特記すべき都市再開発並びに広場修景の完成を祝して永く後世に伝えるためこの記念碑を建立するものである。
 昭和49年(1974)1月1日 元早稲田大学総長 大浜信泉撰





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