東京都新宿区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 新宿区袋町15 (光照寺) 新宿区登録史跡 便々館湖鯉鮒の墓 平成2年(1990)3月2日登録 江戸時代中期の狂歌師便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりう)は、本名を大久保平兵衛正武といい、寛延2年(1749)に生れた。 幕臣で小笠原若狭守支配、禄高150俵、牛込山伏町に居住した。 はじめ朱楽菅江門下で狂歌を学び、福隣堂巨立と名乗った。 その後故あって唐衣橘州門下に変り、世に知られるようになった。 大田南畝と親交があり、代表作「三度たく 米さへこはし やはらかし おもふままには ならぬ世の中」は、南畝の筆になる文政2年(1819)建立の狂歌碑が西新宿の常圓寺にあり、区指定文化財に指定されている。 文化15年(1818)4月5日没した。享年70歳であった。 墓石は、高さ152センチである。 平成3年(1991)1月 東京都新宿区教育委員会 PR |
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永山
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