東京都新宿区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 新宿区大久保1-7 新宿区立 小泉八雲記念公園 明治時代の文人小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はギリシャ・レフカダ町に生まれ、現在の新宿区大久保1-1でこの世を去りました。新宿区とレフカダ町は、この縁をもとに相互に交流を重ね、理解と友情を深めるため、平成元年(1989)10月有効都市となりました。 新宿区は、この度、小泉八雲が没したこの地に小泉八雲記念公園をつくりました。この公園の設計に当たっては、コンスタンティノス・ヴァシス駐日ギリシャ大使並びにスピロス・マルゲリス・レフカダ町長から詳細な助言をいただき、ギリシャ風の公園として整備しました。 ギリシャの雰囲気を出すため、古代の柱や集会場(アゴラ)をイメージした広場、中世風の建物、近代のイメージとしての白い壁などを設けました。 この公園が、日本を世界に紹介した小泉八雲を偲ぶ場所となり今後、新宿区とレフカダ町の友好がより一層深まることを願います。 平成5年(1993)4月 新宿区長 小野田隆 LAFCADIO HEARN MEMORIAL PARK Lafcadio Hearn (in Japanese Yakumo KOizumi),a literary figure of the Meiji Era,was born on the Greek island of Lefks,and died in Shinjuku.Owing to this relationship,bonds of friendship were established between the municipalities of Shinjuku and Lefkas in October 1989. The Lafckio Hearn Memorial Park features characteristic elements of Greece,Yakumo's country of birth. I hope that this park will remind visitors ofLafcadio Hearn,who through his literary works greatly contributed in introducing Japan to the world,and that friendshop between Shinjuku and Lefkas will further deepen in the future. Takashi Onoda Mayor of Shinjuku City ギリシャのレフカダに生まれた小泉八雲は、明治23年(1890)に来日し、明治29年(1896)から亡くなるまで、新宿で暮らしました。 八雲は失われつつあった、古き良き時代の日本の風俗を広く世界に紹介しました。 『知られざる日本の面影』から始まる八雲の日本への研究は、『骨董』、『怪談』、そして、日本研究の集大成ともいえる『日本 一つの解釈』まで多くの著書として発表されました。自らの体験に基づいて書かれている八雲の作品には、現在でも高い評価が寄せられています。 また、八雲は教育者としても多くの人々に影響を与えました。東京帝国大学(現・東京大学)文科大学や早稲田大学では、後に文芸界で活躍する多くの人々がその教えを受けています。 このように、この新宿の地で晩年を過ごした小泉八雲は、近代日本に多大な影響を与え、今なお多くの人々に愛されています。 東京都新宿区 小泉八雲記念公園には『小泉八雲胸像』、『大久保サミットの記念碑』があります。 PR |
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永山
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