東京都新宿区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 新宿区舟町11 (全勝寺) 新宿区指定史跡 山県大弐墓(山県大貮墓) 昭和59年(1984)11月2日指定 山県大貮(山県大弐)(1725~1767)は、江戸時代中期の兵学者・尊王論者として著名な人物である。甲斐国(現在の山梨県)竜王の篠原で生れ、名を昌貞、字を公勝、号を柳荘、洞斎と称した。 初めは医者となったが、漢学を学び、宝暦6年(1756)江戸へ出て家塾を開き、国学・兵学を教え、多くの門下生がいた。宝暦8年(1758)「柳子新論」を著し、尊王論と幕政批判を説き、明和3年(1766)捕えられ、翌年没した。 門下生に吉田松陰などが出て、後に尊王論者の師と仰がれ、高く評価されるようになった。 墓は、初め全徳寺にあったが廃寺となり、全勝寺に移された。 平成5年(1993)1月 東京都新宿区教育委員会 PR |
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永山
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男性
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