東京都新宿区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 新宿区若葉2-8-3 (愛染院) 新宿区指定史跡 塙保己一墓はなわほきいち 昭和59年(1984)11月2日指定 「群書類従」の編者として名高い江戸時代中期の国学者塙保己一は、延享3年(1746)現在の埼玉県児玉郡保木野村に生れた。 姓は萩野、幼名は辰之助といった。 5歳で病にかかり、7歳で失明したが、13歳のとき江戸に出て雨富検校須賀一の門下となり、その本姓塙をもらった。 優れた記憶力を認められ学問を許され、国学・漢学・和歌・医学などを学んだ。特に国学では賀茂真淵に学び、造詣を深めた。 天明3年(1783)検校となり、水戸藩の『大日本史』の校正なども手がけたが、寛政5年(1793)には、和学講談所を開設し、幕府の援助も受け、書籍の収集と門人の指導にあたった。 文政2年(1819)『群書類従』を完成させ、文政4年(1821)には総検校となったが、同年9月『続群書類従』の編纂なかばで没した。享年76歳であった。 墓所は、最初近くの安楽寺に造られたが明治31年(1898)廃寺となり、愛染院に改葬された。墓石は高さ103センチである。 平成3年(1991)1月 東京都新宿区教育委員会 PR |
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永山
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