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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区横寺町15

日蓮宗
 妙徳山 圓福寺



 当山は文禄5年(1596)9月3日加藤清正公により創建され、「妙法蓮華経」の功徳により福徳円満の御利益を授かるという意味が、山号、寺号の由来です。江戸時代の初期より祀られている祖師像は日蓮聖人が49歳の時に彫られた御像で、聖人自ら開眼(魂入れ)なされ、その直後に龍ノ口法難(1271)を免れたことから、生御影(生きるお姿)厄除開運の祖師と称され、古来より多くの参詣者を集めてきました。
 また、江戸時代末期に徳川家の祈願寺となり、大奥女中の熱心な信者も多く、明治維新には、江戸城紅葉山より夜行鬼子母神、七面大明神、妙見菩薩が当山に奉安されました。




 圓福寺境内には『椿山椿先生之墓』、『食材感謝之碑』があります。


                                     妙徳稲荷神社



  文久元酉年従三月中旬、駿州岩本安国日蓮大菩薩
  六十日之間於牛込圓福寺境内開帳之砌諸講中朝詣之図


 文久元年(1861)3月、圓福寺において駿河国岩本實相寺の安国祖師像を60日間開帳したときの賑わいを描いた版画です。このときの願主には牛込通寺町、牛込肴町など圓福寺近辺の23町の講中が連名して参加していますが、日本橋、馬喰町、赤坂、東神田、麹町、品川、千住、内藤新宿などの幟や提灯もみられ、江戸と周辺の信者が多数参集している様子がみられます。信者の中には当時の歌舞伎役者の名もみられ、圓福寺が江戸の人々に熱心に信仰されていたことと、特にこの開帳がたいへんな評判であったことがうかがわれます。境内にはゆかりのある清正公の山車も入り、数々の出し物も演じられ、江戸庶民の信仰の熱意が伝わってきます。
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