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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区市谷山伏町1-16

国史跡
 林氏墓地
     大正15年(1926)10月20日指定

 林氏、一世羅山が朱子学をもって徳川家康に仕え、以来すぐれた儒学者が続き、代々幕府の学制を司る家柄であった。
 墓地は、上野忍ヶ岡にあったが、元禄11年(1698)三世鳳岡の時この牛込の地を賜り、移設された。現在の墓地は次第に縮小されたもので、儒葬による埋葬様式をとどめているのは八世から十一世までの墓のみであるが、現存する希小な遺例として貴重である。この墓地には十二代の代々の当主の他、その家族など八十一基の墓碑等が林立している。
 昭和50年(1975)3月から墓地の適正な管理保全を期するため、新宿区の所有とした。これに伴い区では、墓地内の修理と環境整備を行い同時にぢん塾区文化財調査により墓地の調査を実施し、これらの調査記録を、「国民跡林氏墓地調査報告書」として刊行した。
 毎年11月初旬の文化財保護強調週間には、墓地の一般公開を行っている。
 平成5年(1993)11月 新宿区教育委員会



   林氏墓地
 江戸時代、朱子学をもって徳川幕府に仕えた林羅大とその一族・子孫の墓所で、国の史跡に指定されている。
 当時、儒学は武家の必須の学問であったが、幕府は特に朱子学をその正統とした。林家は朱子学の正統を武家の子弟に教授するため上野忍ヶ岡の別邸内に家塾を開き、孔子を祀る聖堂を建てた。
 この家塾は、五代将軍綱吉の時に湯島に移され、拡張されて昌平黌となり、さらに林術斎(第八世)の時に幕府に献上され、官学として整備されるに至った(湯島聖堂として現在ものこる)。
 なお林家は、当主が代々大学頭などに任ぜられ、学問・法制・外交などの分野で手腕をふるった。
 この墓地は、元禄11年(1698)鳳岡(第三世)の時に拝領した屋敷地の一部に造営されたものである。縮小整備されたため、往時の様相は失われているが、八~十一世当主の墓四基は、めずらしい儒葬の様式をとどめた貴重なものである。
 平成8年(1996)3月 東京都新宿区教育委員会




初代当主 林羅山
二代当主 林鷲峰
三代当主 林鳳岡
四代当主 林榴岡
五代当主 林鳳谷
六代当主 林鳳潭
七代当主 林錦峰
八代当主 林述斎
九代当主 林檉宇
十代当主 林壮軒
十一代当主 林復斎
十二代当主 林学斎
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