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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区新宿5-17-3 (花園神社)

 内藤トウガラシとカボチャ
 新宿御苑は、江戸時代高遠藩主内藤家の下屋敷でした。当時、武家では屋敷内の畑で、野菜などを栽培し自給する習わしが一般的で、内藤家でも野菜を栽培していましたが、中でも軽くて肥沃な土に適したトウガラシがよくでき、内藤トウガラシと呼ばれて評判となり、新宿付近で盛んに作られるようになりました。
 「新編武蔵風土寄稿」(1828)には、「四ッ谷内藤宿及び其辺の村々で作る、世に内藤蕃椒と呼べり」とあり、当時は新宿周辺から大久保にかけての畑は、トウガラシで真っ赤になるほどであったと言われています。
 このトウガラシは八房といって、実が房のように集まって付き、しかも上を向いて葉の上に出るような形になるため、熟すと畑一面が真っ赤に見えたのです。
 保存のできる調味食品として、庶民に喜ばれましたが、明治に入ると都市化により栽培も激減し、産地も西の方に移っていきました。
 この地域ではカボチャの栽培も盛んで、「内藤カボチャ」とか「淀橋カボチャ」ともいわれていました。
 平成9年度 JA東京グループ
 農業協同組合法施行50周年記念事業
 


   THE AGRICULTUREOF EDO & TOKYO
        Naito Bell Pepper and Squah
 The Shinjuku Imperial Gardens were the suburban residences of the feudal lord of Takatou clan,Naito Families.The land was light and ferile and suitable for the production of bell pepper.Famed as Naito bell pepper,it waspopularly grown in Shinjuku areas.Historical record tells that the fields around this shrine toward Okubo were full of mtured reddish peppers in the high season during the years 1830-1844.
 Squash was also grown abundantly here and renowned as Naito Squash or Yodobashi Squash.
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所在地 新宿区新宿5-17-3 (花園神社)

 二宮金次郎像
 貧しい生活の中で、いっしょうけんめい勉強した二宮金次郎(のちの二宮尊徳)のこの石像は、昭和8年(1933)の校舎建築中のころ、長崎武文氏(昭和8年〔1933〕卒)の父、佐次郎氏が千葉か阿荷馬車で運んでこられたものです。
 平成2年(1990)10月27日



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