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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区須賀町5-6

  須賀神社 御祭神
 主祭神
建速須佐之男命・宇迦能御魂大神
相殿 櫛稲田姫命・
右(御子)五男神 
 天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・熊野樟日命・活津彦根命
・左(御子)三女神 
 多紀理姫命・市杵島姫命・多岐都姫命・
相殿 大鳥神社
 御祭神 日本武命・天日鷲大神・大鳥連祖大神
相殿 大国主命
攝社 天白稲荷神社
 主祭神 倉稲魂大神
相殿 
 天照大御神・應神天皇・神功皇后・大山祇神・別雷神・
 天之水分神・国之水分神・高龗神・火之迦具土神・大宮売神・
 大年神・御年神・菅原道真公・疱獠神・天之児屋根命・
 猿田彦神・大物主神・










  四谷の総鎮守「須賀神社」と三十六歌仙絵
(須賀神社について)
 四谷の産土神(うぶすながみ)で、祭神は建速須佐能男命(すさのおのみこと)と宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと)の二柱です。
 かつては、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と稲荷社の二つの神社であったもので江戸時代は稲荷天王合社と呼ばれ、明治にはいり須賀神社と改められました。
 稲荷天王合社のうち稲荷社の由来については、次の二説が伝えられています。
 一つは、かつては麹町十一丁目清水谷にあり、一ツ木村の鎮守であったものが、同村にあった別当宝蔵院(神仏習合の時代、神社には別当寺があり、そこの僧侶が社僧おして神社の儀式に携わりました。)が、寛永11年(1634)に現在の須賀神社の場所に移ったのを機に、稲荷も移転してきたというものです。
 もう一つは、稲荷社は、現在の勝興寺(須賀町八番地)境内にあった椎の大木の根元に祀られており、宝蔵院が清水谷にある頃から稲荷社まで注連飾りの奉仕に来ていたため、寛永11年(1634)に勝興寺が移転してきた時、相談のうえ宝蔵院(現在の須賀神社)に遷座したという説です。
 牛頭天王社のほうは、寛永18年(1641)に、神田明神境内の牛頭天王社を四谷のお仮屋敷横町付近に小祠を立て祀ったものだそうです。
 ところがこの牛頭天王社に参詣人が多かったため、寛永21年(1644)寺社奉行に願い出て、同年6月18日に宝蔵院境内の稲荷社と合祀し、現在の稲荷天王合社となったものです。
 以来、稲荷は鮫河橋・権田原の、天王は四谷の鎮守として崇敬され、現在は四谷地区十八町会が氏子町となっています。

 須賀神社には『三十六歌仙絵』、『祖霊社』、『「く組」梯子塚』、『飯塚正兵衛翁顕彰胸像』があります。
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