東京都新宿区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 新宿区愛住町 暗坂(くらやみざか) (暗闇坂) 四谷北寺町へ出る道で、坂の左右に樹木が繁って暗かったためこの名がついた(「再校江戸砂子」)。別名「くらがり坂」ともいう(「江戸名勝志」)。江戸時代、坂上一帯は多くの寺院が並び、四谷北寺町と呼ばれていた。 平成18年(2006)2月 新宿区教育委員会 PR 所在地 新宿区愛住町10-3 (法雲寺) 新宿区登録有形文化財 法雲寺の梵鐘 平成18年(2006)8月4日登録 法雲寺大四世順意が枡屋、長谷川氏、飯田氏、江藤氏などの喜捨を受け、享保8年(1723)に鋳造された銅造の梵鐘。総高132.5センチで、江戸鋳物師河合兵部藤原周徳の作である。 江戸鋳物師の梵鐘鋳造減少期における作品で、同時期における江戸鋳物師の技術的特徴を知ることができる。また、銘文から当寺の檀越等を知ることができ、史料的価値も高い。 太平洋戦争中の供出により区内の江戸時代の梵鐘は残存数が少なく貴重である。 平成18年(2006)10月 新宿区教育委員会 所在地 新宿区愛住町9-3 (安禅寺) たんきり子育地蔵尊 このお地蔵さまはたん切り子育のお地蔵さまで子供のセキや老人のゼンソクのタンのきれない方が信仰すると効能がある霊験あらたかなお地蔵様です。 その昔慶長13年(1608)真言僧行善によってこの寺が現在の和田倉門附近に創建され時から門前に安置されていた。 その後江戸城の拡張工事があり寛永11年(1634)に安禅寺が現在地に移転した際にこのお地蔵様も一緒に引越してきました。 降って幕末に近い安政6年(1859)の青山恩田の大火、大正12年(1923)の関東大震災に遭いその都度修復されて信仰を弘めて参りましたが近くは第二次世界大戦末期の昭和20年(1945)5月25日夜、お寺と共に焼失してしまいました。 ところが形ある即ちお地蔵様の石の御佛体は亡びたが形なき者即ちお地蔵様の大慈大悲の御精神は亡びなかった。何故あらば、今またこゝにご縁ある人々の努力によって立派に復元建立された人々に篤く信仰されています。 (ご真言)おん・かー・かー・ひ・さ まえい・そわか (ご縁日)毎月24日 天台宗 安禅寺 |
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永山
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