東京都新宿区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 新宿区西早稲田3-17 天祖神社 祭神 天照大神 天祖とは「アマツミオヤ」とも読み極めて尊い神のことで、天王の遠祖です。古典には彦火瓊々杵尊を天祖と称することもあります。天照大神、高皇産靈神、国常立神を称することもありますが、後世に至って、専ら天照大神を天祖と申し上げるようになりました。 江戸時代には神明宮、神明神社と称していましたが、明治3年(1870)の大教宣布により、天祖神社と改められました。慶応3年(1867)迄は、豊嶋郡高田村真言宗新義派神靈山金乗院が、別当寺となっていました。 この天祖神社は豊臣家の遺臣、小泉源兵衛が大坂夏の陣、元和元年(1615)の戦いに敗れ、この地に隠れ住み、荒地を拓き、伊勢の内宮、外宮に参籠して靈感を受け、正保2年(1645)にこの神社を創祀されました。 境内には 諏訪神社 祭神 建御名方命 須賀神社 祭神 素盞鳴命 稲荷神社 祭神 倉稲魂命 厳島神社 祭神 市杵嶋姫命 の四祭神が祭ってありましたが、明治27年(1894)4月、本社普請の時に、合祀されました。その後、大正11年(1922)奥殿、拝殿、神輿倉、神楽殿が改築され、昭和63年(1988)本殿の床上げの修復と神楽殿のみがき石材による玉垣が新調されました。 天祖神社が創祀されて以来、357年の間、銀杏、欅の大樹の神木と共に、ここに住む人々を見守りながら参拝する人の心の支えとなって来ました。 平成14年(2002)9月4日 天祖神社保存会 源兵衛村研究会 付記 源兵衛村は江戸文政年間(1818~1830)の戸数28戸、人口約100人、明治5年(1872)の戸数38戸、人口165人でありました。 PR |
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永山
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