東京都新宿区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 新宿区弁天町100 (多聞院) 新宿区指定史跡 松井須磨子墓まついすまこ 昭和59年(1984)12月7日指定 大正時代のはじめに伊勢市を風靡した新劇所湯松井須磨子は、本名を小林正子といい、明治19年(1886)長野県松代に生れた。 父の死後上京し、明治42年(1909)24歳のとき坪内逍遥が主宰する文芸協会の女優募集に応募し、第一期生となった。 明治44年(1911)「ハムレット」のオフィーリア、島村抱月訳・演出「人形の家」のノラにより新劇の代表的女優となる。 のち、島村抱月とともに文芸協会を退会し芸術座を組織、中心女優として活躍し、特に「復活」のカチューシャで全国的人気を博した。 大正8年(1919)1月5日に、前年11月に病死した抱月のあとを追って自殺した。享年34歳であった。 なお、墓前には芸術比翼塚の碑が建てられている。 平成3年(1991)1月 東京都新宿区教育委員会 PR |
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永山
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男性
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