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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区須賀町13 (本性寺)

新宿区登録史跡
 萩原宗固墓はぎわらそうこ
     平成12年(2000)3月2日登録

 江戸時代中期の国学者・歌人萩原宗固(1703~1784)の墓地。平成6年(1994)に改葬整備され、宗固の養父母の墓石が並べて建てられている。
 宗固は市谷村町の生まれ。享保から天明(1716~1780年代)に国学者・歌人として活躍し、門人として国学者で『群青類従』を編纂した塙保己一や老中として寛政の改革を断行した白河藩主松平定信など著名な人物を養成した。
 特に塙保己一(1746~1821)は、『群青類従』の編纂に宗固の蔵書等を参考にするなど大きな影響を受けたという。
 宗固は四谷左門町・荒木町に居住するなど、新宿とのつながりの深い学者である。
 平成13年(2001)9月 新宿区教育委員会


  萩原宗固(1703-1784)
 江戸中期の国学者、塙保己一の師で歌人でもある。市谷本村町の鈴木家に生まれ、後に萩原氏の養子となって、本名貞辰、通称七左衛門といい百花庵と号した。幕府の御先手与力を勤めたが、病により辞した後は国学を学び和歌に親しんだ。晩年は四谷荒木町に住み、82歳で没した。著書に「一葉集」「蜻名遺傳」「靖鈴日記注釈」などがあり、次のような名吟がある。

 『夢中郭公』(ほととぎす)
 「夢なれや枕ならべてねし人も、きかぬ初音の山ほととぎす」
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所在地 新宿区須賀町13 (本性寺)

  北向き開運毘沙門天
平等山本性寺の宗旨は日蓮宗。下総国小金宿平賀(千葉県松戸市)本土寺の末寺で、設立の縁起は家康の江戸入府に従って来た三河の郷士三田佐兵衛尉守綱(妙傳院殿蓮向日香大居士)が、麹町9丁目あたりに営んでいた隠居所を、寛永18年(1641)観智院日泳上人に譲渡し三田氏の没後、寛文10年(1670)その菩提を弔うため本性寺が設立されました。
この山門と正面にある毘沙門堂は戦災に焼け残った四谷では数少ない貴重な建築物である。双方とも総ケヤキ、釘を一本も使わない切組造り手斧削りで、建造年代は元禄頃とされている。毘沙門道に安置されている毘沙門天像は、もと江戸城本丸にあったもので、太田道灌時代から伝わっているとされ、5代将軍綱吉の側室、春麗院殿の発願により、堂とともに本寺に寄進された。この像は別名『北向き毘沙門天』といわれ徳川家康が北方の仙台伊達氏が謀反を起こさぬよう、北方の守護神、毘沙門天を北向きに安置して祈願したという伝説がある。以来江戸庶民の尊崇を集め、福運財運のご利益が顕著なので開運毘沙門天として一般の篤い帰依と信仰の的となっております。


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永山
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