東京都新宿区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 新宿区内藤町1-8 当社は、江戸初期に初代内藤清成氏が屋敷内の地(現在の新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り、(内藤神社)を草創したことに始まり、また藤原氏の氏神である楢の春日大社より、経津主神、武甕槌神、天兒屋根神、姫神の分霊を勧請合祀してあります。 明治19年(1886)に新宿御苑の地より現在地へ移設、遷座され今日に至っています。当初は武州多武峯神社と称していましたが、昭和42年(1967)5月に多武峯内藤神社に改称されました。 御祭神 主祭神 藤原鎌足公(ふぢはらのかまたりこう) 相殿神 武甕槌神(たけみかづちのかみ) 相殿神 経津主神(ふつぬしのかみ) 相殿神 天兒屋根神(あめのこやねのかみ) 相殿神 姫神(ひめかみ) 相殿神 内藤家歴代祖霊 末社稲荷神社 主祭神 倉稲魂神(うかのみたまのかみ) 相殿神 八幡神(やはたのかみ) 相殿神 大国主神(おおくにぬしのかみ) 相殿神 市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ) 駿馬舎 (木彫の白馬・内藤修理亮清成公の愛馬) 稲荷大明神・八幡大菩薩 建物・史跡 社殿、神楽殿、手水舎、稲荷神社、駿馬舎 駿馬塚 文化13年(1816)建立、新宿区登録有形文化財 御祭日 元旦祭 例年 1月1日(午前零時) 初午祭 例年 2月(初午の日、若しくは前後の日曜日) 例大祭 例年 5月(第三土曜日・日曜日) 七五三祝祭 例年 11月(15日、若しくは前の日曜日) 大祓祭 例年 12月31日(夕刻) 除夜祭 例年 12月31日(午後11時30分) 多武峯内藤神社社務所 境内には『駿馬塚』があります。 PR 所在地 新宿区内藤町1-8 (多武峯内藤神社) 新宿区登録有形文化財 駿馬塚 しゅんめづか 平成5年(1993)3月5日登録 内藤清成の駿馬の伝説にかかわる石碑である。 徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と語ったという。 清成の乗った駿馬は、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられる。 後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が、文化13年(1816)8月に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てた。 碑はその後、明治5年(1872)9月に現在地に移されたものである。 平成5年(1993)11月 東京都新宿区教育委員会 所在地 新宿区内藤町1-8 (新宿区立内藤児童遊園) この地(多武峯内藤神社西方付近)は、明治20年(1887)に佐賀藩出身の眞崎仁六が眞崎鉛筆製造所(現・三菱鉛筆株式会社)を興し、鉛筆の製造を始めたところです。30年後の大正5年(1916)に品川区東大井に移転するまで、ここで鉛筆製造を行っていました。 創業時は玉川上水の分水であり、現在は暗渠(あんきょ)となっている渋谷川を利用した水車を動力にして、ここで鉛筆が造られていました。 平成18年(2006)10月 寄贈 三菱鉛筆株式会社 資料提供 新宿区教育委員会 |
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