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東京都新宿区の歴史
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所在地 新宿区若葉2-8-3 (愛染院)

新宿区指定史跡  
 高松喜六墓たかまつきろく
     昭和59年(1984)7月6日指定

 内藤新宿の生みの親高松喜六は、もとは喜兵衛といい浅草の名主であった。
 喜六は、当時甲州街道の最初の宿場が日本橋を出発して四里余り(約十六キロ)の高井戸であり、大変不便であったので、元禄10年(1679)同志4人とともに幕府に、内藤家下屋敷の一部(現在の新宿御苑北側)に宿場を開設する請願を提出した。
 翌年許可がおり、喜六は宿場開設資金5600両を納め、問屋・本陣を経営した。
 正徳3年(1713)8月に没したが、高松家は代々内藤新宿の名主をつとめた。
 墓石は高さ80センチで、右側面に「内藤新宿開発人高松金八友常」と刻まれている。
  平成3年(1991)1月 東京都新宿区教育委員会
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